今いる沼が最前線だ(仮)

様々な沼にはまって、這い出て、新たな沼へはまるを繰り返すおたく。

なんにもない雑記〜ファンレターって…〜

連休が終わってしまったー!!!廃社会人として一週間を乗り切りました。書類作成で元号を変えるのを忘れて時空が歪んだものを多々生み出しています。まあ元気にやっていますよ。

事件のようなものもないんですけど、少し感動?したお話。

4月に入り推しのお仕事がさらに活発になっていてついていくのに必死です。4月本当に大変だった…すごくビックリした。そして現場が2週間で3カ所とか本当にやめて!!詰め込みすぎでしょどう考えても。えぇ、今月の話ですよ。
この連休は初日に推しごと、最終日に推しごとでした。現場ない時は引きこもってました。なーんもしてない。イベントもほとんど走らなかったし、起きてご飯食べて、寝るみたいな。4月が精神的に疲弊した1ヶ月だったので結果オーライです。


さて、少し感動したお話。私の感動なので大したことありません、あしからず。
その連休最終日のイベントに行った時の話です。この1年で私はお手紙を書くようになりました。ずっと書くことを躊躇い続け、ウダウダモジモジしながらも一度書き始めたら、ほぼ毎回手紙を書いています。大体は前現場の感想ですね。なので期間が空いたりしたら書かないこともあります。

書き始めて1年弱経ち、ふとよぎった疑問。
『推しはお手紙を貰うことをどう思っているのだろうか?』
実のところあまりこういったことを話す人ではありません。例えば、お手紙受け取りましたツイートされる方もいらっしゃいますし、何かしらでプレゼントの話が出た時に「プレゼントはいらないです。お手紙で十分です」というようにおっしゃる方もいます。そういったことはほぼしません。別にファンを蔑ろにしているわけではなく、意識的に話さない人です。
毎回イベントではBOXが用意されているので受け取っているとは思いますが、感情としては如何なのだろうか?と思い始めていたんです。
絶対に読んで欲しい!とは思っていませんし、あのハードスケジュールの中読む時間を設けているなら、手紙なんぞ読むよりも寝てくれと思っています。
そもそも、もしかしたらあんまり手紙を望んでいないんじゃないかな?毎回たくさんの手紙の存在が例えば本人にとっては不要なものなんじゃないか?とそんなことを思いはじめてしまい、また手紙を書くことへのモチベーションが低下している状態でした。
(このイベントでも連休初日の推しごとについての手紙は書いた。ただ今まで以上に内容がペラッペラで出すのを躊躇った。勿体ないから出した)

そんな中私が参加しているイベントでついに本人の口から初めて手紙について言及をしたんです。
「◯◯についてはお手紙か、リプで」と。
その瞬間ファンとのコミュニケーションツールとして手紙が本人の中にあったのか!まじかー!!と驚きと共に感動を覚えたんです。
リプとかインスタのコメントとかは結構しっかり見ているようなんですけど、私ごときのリプをほかのファンの方に晒すようなことは心臓チキンすぎるのでできないので、ツールのひとつに入っていたことが嬉しかったです。


これからはもっとちゃんと書かないと。というかそろそろペン字習うべきじゃないの、自分。
というわけで次のイベントでもしっかり手紙を書こうと思います。


ね、大した話じゃないでしょ?